出かけておりますしばらくお待ちください(=ↀωↀ=)

わかりあえなくても取り敢えずは惑星のように存在し合えるそんな状態

昔話

徳川慶喜』がなくなられた翌年

第一次世界大戦が始まり

僕の父親が生まれた

 

それから30年

日本はたぶん今よりは

大きい国だったのだろう

 

ある時父親が

 

昭和に入ってちょっとしたくらいに

支那事変』が勃発して

そこに派遣されたっていうの

 

支那事変て何よ?

 

歴史の授業でもならった記憶がないから

『ももたろう』とか

『猿カニ合戦』とか

かぐや姫』とか

そんなタイプのお話のように感じてしまった

 

それに父親の話が受け入れられない

もうひとつの理由があった

それは

 

学校で習う内容とは相容れない観念だったから

 

過去の日本人はひとつの

過ちをおかしてしまったのかもしれないけれど

 

せめて身内のしたことくらいは

理解してあげないと前にも進めない

 

学校でならう他人のお話と

実の父親の話す本当にあった話の

どっちを信じるかなんて

いまなら自明の理なんだろうけど

 

 

弟とか親戚の人たちはいろんな話を聴いていて

あとで僕にいくつかはおしえてくれたけど

 

しょせん戦争なので

後味のわるいものばかりだった

 

『鬼畜米英』とかの戦中のスローガン

にそまったはずの父だけど

趣味の1つに『JAZZ』があった

 

家にたくさんのレコードがあって

晩年には処分しちゃったけど

僕の洋楽好きは親譲りなんだろうな

 

ちなみに

父親の事は子供の頃から

『おじさん』と呼ばされていました

 

 

実の親なのにね

それはいまでも謎です