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わかりあえなくても取り敢えずは惑星のように存在し合えるそんな状態

Statistical population

 高校を卒業して普通の会社に就職したら

 

 

上司が毎週 勉強会をするから

予習復習をきちんとしてくるようにと言いました

 

工業英語

パソコン(含むプログラミング言語

品質管理

 

この3つ。。。

 

 

 

毎日地獄のような残業があって

こんなことする余裕があるわけないやんけ!💢

 

と思いましたが少し興味もありました

 

 

 

 

 

 

工業英語はなんかの本のコピーとその内容が記録された

カセットテープとのセットでした。

でもなんかちょっと変でした。

 

たとえば

 

[a book]というのがあったとします。

 

この{a}の発音は普通は『ə』ですが

このテープだと『éi』なんですよね。

間違ってはいないんですが

どうしてわざわざ強調するのかわかりません

 

 

内容は少し専門的な英単語が出てくるわけなんですが

中高で学習する男女のどうでもいい会話的なものではなかったので

余計にちんぷんかんぷんでした

 

 

それから10年くらいして

海外の文献や特許を訳す必要が出てきたときに

専門の辞書を買いに行かせる動機

を持たせたという役割はあったと思います。

 

 

 

 

次はパソコンというかプログラミング言語ですよね

 

学校ではフォートランを扱いましたが

勉強会ではその頃の定番のBASICの学習でした。

 

どうしてかというと

その頃のパソコンはまだまだマウスが一般的ではなくて

BASICとかMS-DOSのコマンド(パソコンを動かす命令の言葉)を

キーボードで打ち込まないと動かせなかったからです

 

 

その頃の代表的なパソコンである 

 

NECPC9800でも

IBMPC/ATシリーズでもです

 

 

だからプログラミング言語を覚えるとかいう大層なものでもなく

コマンドの言葉を覚える感じの非常にゆるい内容で

 

だけどソフト(プログラム)を動かすときに

ある程度知っていないと

ちょくちょくエラーが出たときに対処出来なくなるので

少しは知っておく必要があった為の勉強会でした。

 

 

昔のパソコンはエラーなんて当たり前で起こる仕様なので

 いまの人間が使ったら怒りで叩き壊してしまうかも知れませんねw

 

 結局言語は覚える事は出来ませんでしたが

会社ではWindows、家ではMacを使ってましたので

なんかの役にはたっているんでしょう。

 

 

 

 

 

 

最後に品質管理(QC=quality Control)

ja.wikipedia.org

 

説明は難しくて僕は出来ないので☝️これを読んで頂けたらなんとなくは

わかるとおもいます。

 

(丸投げごめんなさい^^;)

 

世の中にはテレビや新聞雑誌やインターネットのサイト等に

いろんなデータがあふれていますが、

 

あくまで母集団(真のデータ群)を推測したもの

 

でしかないことに注意をされたほうがいいと思います。

 

 

例を出すと、テレビの視聴率とか政党支持率とかですね。

真のデータを測定するのは難しいですから。

 

しかし この母集団という概念を当時はなかなか

理解出来ませんでした

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 というわけで

最初の上司とはたった1年間の付き合いでしたが

たんたんと勉強会を続けたのち

 

 

次の上司になってもこの勉強会は続けられました

どうしてかというと

この勉強会はこの職場が創設されてからの伝統だったからです

 

 数年して同僚が大量に辞めて

職場内でのグループの再編が始まり

僕は別のグループに移動することになりましたが

そこもしばらく勉強会がありましたが

そこでも上司が変わったタイミングで勉強会を無くしたので

内心ホッとしました👍 

 

 

 

 

でも 人間勉強する機会を失うとどんどん

怠けてきますよね。

 

 

そんな状態だといろいろ自信も無くしていくし

良くないんでしょうね

 

自分の勉強嫌いはどうしようもないんだけど

また何かしなきゃね

 

この最後の2行が言いたかったので

ブログを書きました

 

 

 ええもちろん今日もオチなんてないんですのよ

 

 

Typhoon Page (1990)

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台風28号 平成2年

 

 

今年は台風や豪雨が

関東に集中的に来て

 

もともと沼地や池や川だったところは

それなりの浸水被害を受けられていて

やっぱり

 

ブラタモリ ではないけれど

 

 

 昔の地形に興味を持つのは大事な事だなと思います

 

 

 

 

 

昔、まだ僕が二十代のピチピチしていた頃

 

11月の下旬に台風がやって来ました✌️

 

 

 

その日はたまたま職場の忘年会があった日で

12月に入ると会場が取りにくくなるので

なんか早めにやってしまおうという幹事の提案で

開催されました。

 

 

 

どうせ季節外れの台風だし

 

大した事ないんでしょ? 

 

とみんなで高を括っていたんですよね

 

 

 

 

ところが忘年会の乾杯も済んで全員にお酒が入った頃

 

だんだん風雨が激しくなって来ました

 

 

そこに、部長宛に緊急の電話がかかってきました

 

 

 

 

なんか工場の排水系が溢れて浸水しそうなんで

 

至急戻って夜通しの監視をしてくれ!

 

 

 

という内容でした。

 

 

全員 貸切バスで会場のホテルに行っているので

飲酒運転とかの心配はあんまりないのですが、

少々みなさんほんのり酔ってはいらっしゃいましたが

緊急事態なので覚めつつもありました

 

 

それで工場組織なので

緊急の時は、防災団的なグループの役割があります

 

 

若手はもちろん何かに所属してこき使われます

 

 

部長はその指揮監督の立場になるわけです

 

 

 

まだみんなホテルの会場ですが

続々と部長から指令を受けて現場に向かおうとします

 

それで自分なんですが

 

実はどこにも所属して居ませんでした

 

その頃は第二次ベビーブームの世代が就職していて

どこの職場も 若い人だらけだったんですよね

 

僕はまだ存在感が無くて影も薄くて

それに頼りない感じだったので

役からは外されていました

 

もちろん後輩はいっぱい居てみんな何かの役になっていました

 

 

情けないですね〜(T . T)

 

 

 

僕が職場で覚醒するのはもっと後で

その後 先輩や同期や後輩が 大量にやめて人が減って

4〜5年後の頃からです。

 

 

 

なので、若い人間は自分と女の子だけ残っていて

恥ずかしかったので

 

部長に恐る恐るこう聞きました

 

 

あの〜僕はどこに行けばいいでしょうか?

 

(╹◡╹)?

 

 

 

 

 

部長は少しイラっとした顔をしてからこう言いました

 

 

あんたはいいですわ!!

(イントネーションは関西弁で)

 

 

 

余程役に立たないと思われたんですよね

事実その頃はそうだったんで

そう言われても本当に仕方がありませんでした

自分に自信がなかったし。。。。(T . T)

 

 

 

でもその時の自分は本当に落ち込んで

帰りのバスの中でも小さくなって

寮に戻ってからも心の中でシクシク泣いていました

 

 

いま思い出しても悲しいです。。。。。。

 

 

 

翌日 台風は本州を抜けて

普通の低気圧になって去って行きました

 

もう世間は 12月の師走になっていました

 

 

同僚たちはみんな夜遅くまで防災の作業をしていて

後輩からは

 

昨日どこに行ってたんですか?

 

と聞かれて返答に困ったりして

 

早く忘れてしまいたい黒歴史となってしまった

季節外れの台風の事件です。

 

 

 

 

 

Handholds

いまから15年くらいまえに

テレビでアイススケートのジャンプを軽々と飛んでいる

女の子を観て

 

スケートがしたくなった。。。。

 

 

 

 

しかし向こうは子供の頃からやっている天才

 

方や

 

こっちは若い頃に何度も挑戦して見事に砕け散った過去をもつ

おぢさん。。。。(T . T)

 

 

 

普通に考えて無理でしょ

 

 

無理なんだけどどうしても僕も飛びたい

 

華麗にぴょ〜んて飛んでみたい🙋‍♀️

 

 

 

と思ったけど、一人でスケート場に行く勇気

 

が無かったのでその時はあきらめました

 

 

 

 

翌年、万博が僕の住んでいた県で始まりました

一緒に行ってくれる人を探したら見つかりました

 

なんか丸っこくてとても優しいひとでした

 

僕のことを気に入ってくれてるのが全身から伝わってくる感じだったので

 

それから何回も一緒に行きました

 

予約を取らないと入れない所とか

予約を取ればすんなり入れるパビリオンとかあったので

仕事中にごまかしながら必死になって二人分のチケットを取りました

 

とは言っても何してるの?😄って同僚に聞かれたので

 

「万博のバビリオンのチケット取ってます」

 

と正直に言ってその人にも取り方を教えてあげましたが。。。

 

 

 

 

それで18回くらい一緒に行って

すごくすごく楽しかったなと思って

万博も終わって気がついたら

普通につきあっていました

 

 

万博会場は元々

青少年公園と呼ばれていて

サイクリングコースとかスケート場とかプールとか

ありまして

 

 

一年後にまた元の公園に戻ったので

相方さんと一緒にスケートに行きました

 

 

相方さんはすいすいリンクを滑って居られましたが

僕は転倒が怖くてリンクの端っこで

 

生まれたての子鹿のようにぷるぷる震えておりましたが

 

いちおう目標は浅田真央でしたので

 

怖い気持ちを振り絞って手すりから離れて周回コースへと向かいました

 

 

 

ここが原点ですね

いまではなんとか普通に滑れるようにはなりました

さすがにジャンプは無理でしたが 

 

 

ホッケーのシューズ履いて

ターンとかツイズルとかも遊びでやったりしてます

 

 

転倒はかなりしました

ありえない姿勢で倒れてしばらく声が出なかったり

足を打ってしばらくびっこ引きながら歩いたり

子供がぶつかって来るのを避けようとして歯を折ったり

 

あとは人が転倒して大出血してるのを発見して

慌てて人を呼びに行ったり

本当にアイススケートは危険なスポーツです

ただの遊びではやらない方がいいです

でも楽しいです

 

 

ある程度滑れるようになると

僕は教室に習いに行ったりするようになって

相方さんは一緒に滑ってはくれなくなりました

別れてからは別にひとりで日本各地のスケート場に

行くのも楽しいなと思うようになりました

 

 

スケートは体幹で滑ると姿勢が良くなって

楽に滑れるようになるので

電車に乗っているときでも

つり革につかまらずに乗ることが多くなりました

 

 

今回もオチがなくてすみません😅