外国の人と付き合っていたときに
その友達のイギリス人もまた日本人の彼氏が居て
よく4人で会食をする事があった
僕の彼氏は日本語はペラペラで
そのイギリス人は日本語は片言なので
英語交じりの会話になる
それで僕にもいろいろお話をしてくださる事があって
そのなかで
同じ言語を話すグループはひとつの民族とみなせる風な
ことを言った
この人は面白いことを言うなって思った
コミュニケーションは同じ言葉を話すことから
始まるんだし
その結果1つのグループとみなされても仕方がないなと
いま日本の国のなかでもいろんな民族出身の
方々が居て
とりあえずは同じ日本語を通じて意思の疎通がなされている
極論すれば
日本語を話せば、そのひとは日本人である
って言っているのと同じことになるけど
コミュニケーションが取れてしまうので
合ってはいないけど
別に間違ってもいない
外見がどんなにエイリアン👽でも
日本語を話されてしまえば
友達にだってなりうるんだよね
僕は外国語を習得するのは不可能だったけど
どんな国のひとでも
同じ人間で同じような思考をしているというのが
わかって
だからこそ
ひとりひとりみんな考え方が違っていて
それを尊重していかなければいけない
と思うんだよね
それでその中で気持ちが通じる
数少ない貴重なひとを見つけて
友達になれればいいのかと
つまり
最小公倍数と最大公約数みたいな考え方
誰にでも共感してもらえる考え方と
誰かとだけ共有していたい気持ち
これがわかっていたら
世界中のどこでも暮らせる
可能性はあるよね